【リタイア後のライフスタイル】頑張らない生き方

65歳を過ぎたら、もう頑張らなくてもいいんじゃないか?

今回は『65歳 何もしない勇気』という本のエッセイを読んで、感じたことをお伝えしたいと思います。大学を卒業後40年以上、それなりに一生懸命働いてきました。だから65歳になってリタイアしたら、「もう、がんばらなくていいんじゃないか?」ということについて、考えたいと思います。なお、参考にした書籍『65歳 何もしない勇気』(幻冬舎)については、こちらです。

目次

高齢者は頑張らなくていい! って本当か?

これまでの会社員生活では、日々努力すること、頑張ることは美徳とされてきました。今日できることは今日のうちにやりなさい!明日に回すんじゃない!と先輩や上司に言われて頑張ってきました。

でも、リタイアしたら、もはやそんなに根を詰めてやる必要はないんじゃないでしょうか? 第一、そんなに頑張ってやってしまっては、明日からやることが無くなってしまうじゃありませんか? 残り少ない人生、そんなに急いであくせく働いていたらもったいないんじゃないでしょうか。

そもそも、「努力する」とは、「このままの自分じゃ駄目だ」と現在の自分を否定して、より高い目標に自分を追い込むことだと思います。言い方を変えれば「自分をいじめる」ことです。運動の筋トレでも身体を鍛えることを「身体をいじめる」とか言いますよね。

おそらく、「身体をいじめる」というのは、たとえば腹筋運動していて「もう限界だ~」というところから、もう一回腹筋運動することで、筋肉にダメージを与えて筋肉の繊維を太く回復させるということ。仕事に当て嵌めれば、「よし!終わった!」から、もう一段ブラッシュアップすることで、成果物の質や自己の能力を高めるということでしょうか。

高齢者になったら、『いまのままの自分でよい、更に上を目指す必要はない』と考えれば、敢えて努力する必要もないのです。無理をせず、自分をいじめず、ほどほどにして毎日を楽しめばいいのです。と、エッセイでは言っています。皆さんはどのようにお考えになりますでしょうか?

私はこう考えます。何も努力しなければ、衰えるだけじゃないか。努力しなければ現状を維持するのも難しいでしょう。そういう意味で、今の自分は筆者の考えに同意できません。人間なら最期までもがいて、もがいて努力し続けるのが良いと思うのです。努力しなくなれば、惚けしまうんじゃないかと恐れるのです。歳を経ると考えが変わるかもしれませんが、今はそう思います。

歳のせいにしていい!という便利な考え方

責任をたくさん背負って仕事をしていた現役のころには、サボるということをあまり考えることはありませんでした。商品開発の仕事をしていたので、品質と納期を守るために無我夢中で、といいますか、納期に追いまくられて余裕がなかったという表現が正確でしょう。

このエッセイでは、『若い時にはサボるのはなかなか大変だが高齢になったら、サボるのは簡単にできる。年齢のせいにすればいいのです。』『もうトシだからなぁ、疲れてどうしようもない』『トシのせいで、根をつめてできないんだ』と言えば、誰もが納得してくれます。』と、言っています。

生真面目にならないで、リタイアしたら時々参考にしたい考え方ですね。もちろん、あまりに頻繁にこの手を使うと魂胆がバレバレになってしまうので注意が必要ですね。

そういえば50歳代の頃、同僚にそういう奴がいました。『トシだから、腰に悪い』とか『そういうのは教育のために、若い者にやらせるべきだ』とか言って、自分では何もやろうとしない奴でした。自分はそうなりたくないと思い、反面教師としていました。

しかし、リタイアしたら話は別です。『年寄りだから、しょうがないなぁ』とも思われたくないですが、便利そうなので、「歳だから・・・」を時々使ってみるかもしれません。

世の中、全部冗談だ!

『世の中、全部冗談だ』これはいいフレーズですね。最近は「老後破産」とか「老後貧困」とか、不安をあおるような風潮にありますね。ただでさえ、高齢者は悲観的になりがちです。あれこれと心配し、さまざまなことを不安に思ってしまいます。

『世の中、全部冗談だ。人間すべて道化師』というセリフは、ヴェルディのオペラ「ファルスタッフ」の主人公の言葉らしいですが、とてもいいフレーズで、”使える”と思います。
先々のことを考えていろいろと不安に思っても、それは考えすぎで、視点を変えれば大したことのない余計な心配であることが多いものですね。


ここまで読んでいただき、どうも有難うございました。

是非、また、当ブログを読んでいただきますよう、よろしくお願いします。

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