リタイア後の趣味について、アマチュア無線・油絵・熱帯魚

リタイア後に夢中になれる趣味をお持ちでしょうか? 「現役の頃は仕事中心の生活を送っていたし、遊びも会社の仲間と一緒にやることが殆どだったから、趣味と言われても、これといった趣味は無いなぁ・・・・」という方が多いのではないでしょうか?

会社を辞めて半年や1年間は、旅行やなんやらで時間を潰せますが、その後には膨大な自由時間が控えています。何か趣味の一つ、否、できれば複数の趣味を持っておきたいところです。しかし、いきなり趣味を持てと言われても困りますね。

そこで、趣味を考えるうえで何かの参考になるかもしれないので、私の趣味遍歴をご紹介させていただきます。

趣味の変遷ー大学生まではアマチュア無線に夢中!

最初に趣味といえるものは、小学生の頃に始めた「切手収集」でした。そのきっかけは忘れましたが、漫画雑誌に載っていた切手の通信販売の広告がきっかけだったかも知れません。「国立公園シリーズ」とか「国定公園シリーズ」などから始まり、通信販売を使って集め、ストックブックに整理して楽しんだものでした。あぁ懐かしい~!!

その次にハマったのは、「アマチュア無線」でした。その昔、「ハムは趣味の王様!!」とか言われていました。中学生の時に興味を持って、半田ゴテを手に短波受信機を作ったり、アマチュア無線技士の資格を取るために勉強して仙台まで受験に行った・・・懐かしい思い出です。今考えると、この時期に理系に方向が決まったように思います。

その後、中学生の時に新聞配達のアルバイトをしてをしてお金をためてトリオ(TRIO)の無線機を購入し、念願の無線局を開局した時の昂揚感は忘れることができない思い出です。そして高校に入学した際に、まさかの無線仲間と同じクラスになってオンサイトで出会ったことなど、忘れられない思い出です。

大学に入ってからは、迷うことなくアマチュア無線部に入りました。アンテナの鉄塔に登らされたり、コンテストに参加したり、発電機を持って山頂でサービスしたり、思い出がたくさん、たくさんあります。その頃の友とは今でも年賀状のやり取りをしてる仲です。

社会人になってからの趣味遍歴ー油絵~熱帯魚編ー

電機メーカーに入社して独身寮に入りました。一人部屋とはいかず6畳間に二人暮らしです。会社では仕事が忙しく、また住環境の変化もあって、アマチュア無線の趣味は自然に消滅してしまいました。

そんな時、職場の先輩から「美術サークル」に誘われて入部しました。週に一回、会社外から画家の講師を招いて、デッサンや油絵などを教えてもらい、活動の後に居酒屋に呑みに行くのが楽しみでした。

私が美術サークルの部長の時には、モデルクラブからヌードモデルを派遣してもらい、会社の一室で裸婦デッサンなどもやりました。今考えると大胆なことをやったものだと思います。ちょっとドキドキして怖いですね。

その後、会社の実術サークルで描いているだけではもの足りなく感じるようになって、一般の社会人対象の絵画教室にも通うようになり、日展や二科展などの公募展を見に行くようになったのもその頃からです。

このまま趣味が続くかなぁ、と思っていたのですが、そんな時、妻となる女性に出会い結婚することになりました。当時は残業が続くなか唯一水曜日だけが定時で帰れる日であり、その水曜日は美術サークルの活動日だったのです。しかし、結婚してからは、貴重な水曜日は絵を描かずまっすぐ家に帰るようになりました。そして、油絵の趣味は自然に消滅しました。

そのあとにハマったのは「熱帯魚」です。結婚して子供が生まれ、子供のためにと、グッピーを飼いました。最初は幅45cmの小さな水槽ひとつでした。しかし凝り性な私はそれでは満足できずに、その後、幅60cmの水槽を増設し、最終的に幅120cmの水槽を購入して、その中でディスカスを飼うほどになりました。

水槽の状態/水の状態が良いと魚の色つやが最高に美しくて、ただ見ているだけで仕事の疲れが取れるような気がしました。水草を植え、このまま繁殖まで行こうかなと思っていたところ、またまた住環境に変化が起きます。

会社から山形の関連会社への出向命令が出て、引っ越さなくてはならなくなりました。時期は12月、寒いです。どうやって熱帯魚を運んだらいいの?考えましたが、結局引っ越しを機にディスカスを近所の人に水槽ごと手放すことにしました。そんなわけで、熱帯魚の趣味は、山形転勤を機に突然終息してしまいました。

この後、山形に転勤した後に趣味が変わるのですが、話が長くなるので、次回にご紹介いたします。

機会がありましたら、また読んでくださいね!

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