特許調査を生業とするに至った理由
本記事では、自己紹介を兼ねて「特許調査を生業とするに至った理由」についてご紹介しています。将来、特許調査の仕事に就こうと考えられている方の参考に少しでもなれば幸いです。
目次
40歳代まではA会社で技術者として機器設計に携わる
大学を卒業後40歳まで、A会社で機器の設計技術者として働きました。当時は設計や実験で多忙で、特許には無縁というか、むしろ煩わしく感じていました。年に2回ほど「特許合宿」という発明抽出会を行いましたが、出願件数のノルマがあって特許というものは嫌いでした。それが、今では特許に関わる仕事をしているのですから、人生は何があるのか、わかりません。
このころの経験で得た知識は、機械系/電気系の特許公報を読む際にとても役立っています。そういうわけで、私のバックグラウンドは「機電系」ということになります。
40歳代半ばに新規事業プロジェクトに特許担当として参加
それまで手掛けていた技術のライフサイクルが衰退期に入ったため、機器の設計を離れ、新規事業プロジェクトの立ち上げに加わりました。そこでは、特許担当として主に技術動向調査の取りまとめとプロジェクトメンバーの出願推進を仰せつかりました。今考えれば、これが特許に関係するようになった契機となりました。
新規事業市場に参入するにあたり、他社特許対策が必要になります。そこで、自社の登録特許と他社の製品を見比べて、「攻めの特許」の発掘を行いました。「攻めの特許」というのは、いずれライセンス交渉の場面になった際に交渉材料に使える特許ということです。攻めの特許の発掘は、会議室の一室を占有して分解した他社製品を並べて、特許と照らし合わせる作業をチームで行いました。
この時期の経験から「1件の特許権の重要性」を身にしみて感じることができました。また、請求の範囲の書き方ひとつで相手製品が権利範囲から外れてしまう、という悔しい思いもしました。
このように苦労して「攻めの特許」の弾づくりを頑張ったのですが、新規市場への参入は諸般の事情から中止になりました。
B社に転職して研究所で特許を担当することに
A社での新規事業の参入が中止になった後、40歳代後半にB社に転職しました。
B社では、研究開発部門の特許担当を任されることになりました。技術分野が異なるためA社での技術者としての価値は低く、特許を担当した経験を評価していただきました。
部門の特許担当として、知財部の方と交流も多くありました。その時、知財部と渡り合うには「知的財産の専門知識」が必要だと思い、ふとしたことから弁理士試験に挑んで見ることにしました。49歳の時でした。
このとき、人生を「知財」の方に、大きく舵を切ったことになりました。
結局、5年間掛かりましたが弁理士試験に合格することができました。しかし、弁理士会の会費が月々1万5千円かかることを、 恥ずかしいことに実務修習を終えたときにはじめて知りました。今は弁理士として収入を得ていないため、弁理士登録はいまだにしておりません。
50歳代半ばにB社の知財部に異動する
弁理士試験合格後に研究所の所長の計らいで、知財部に異動することができました。知財部で出願を担当するには年齢的に遅すぎたため、特許調査を担当することになりました。
この時期には主に技術動向調査、競合動向調査、特許無効資料調査を担当し、時々、攻めの特許の作り込みも行いました。この時期の経験が、現在の仕事にとても役に立っています。
そして60歳でB社を定年退職し、その後に現在の特許調査会社 C社に転職しました。
C社で特許調査を生業とすることに
現在のC社に入社して、サーチャーの技量の高さに驚きました。さすがプロの技!と感心しました。
また、特許検索ツール、分析ツールが多数あり、さすが特許専門会社は違うと思いました。学ぶものがたくさんあり、転職してよかったと思っております。
さて、この会社での私の強みは何でしょうか?敢えて言えば、「技術開発で経験した知識と技術者の勘?」+ 「特許法に詳しい」ということだと思います。技術者の勘というのは、専門外の技術でも(なんとなく)理解できる力と考えます。
技術畑から知財部門への転身を考えている方へ
もし、技術畑から知財部門へ転身を考えられている方がもしおられましたら、早めの決断が良いと思います。技術の変遷する速度は、ますます速くなっており、入社してから65歳で定年退職するまで同じ技術開発に携われる人は非常に稀でしょう。もしかしたら誰もいないかもしれません。
途中でマネージメントに移るのもありですが、技術が好きならば知財への転身も選択肢の一つとして検討に値すると考えます。
ここまで読んでいただき、どうも有難うございました。
是非、また、当ブログを読んでいただきますよう、よろしくお願いいたします。